ウィキペディアより
デヴィ夫人が北朝鮮の拉致家族に諦めろとか、北朝鮮の核武装はを擁護する
とかの問題発言をしたようですね。
デヴィ夫人がテレビのバラエティーの常連さんになって久しいけど
こんなに反発を買う発言は初めてでしょう。
じつは、前からデヴィ夫人は北朝鮮に好意的な人物だったんですね。
そのガギを開けるにはデヴィ夫人のインドネシアのスカルノ大統領の
時代を見なければならないそうなんです。
デヴィ・スカルノさんの来歴
デヴィ・スカルノさんは1940年(昭和15年)2月6日 生まれ。
東京都出身。
15歳で映画に出演したもののエキストラで女優としては
成功せずに終わった。
デビィさんは父親の死をキッカケに16歳で水商売の世界に入る。
19歳のときにとある企業の秘書としてインドネシアに渡り
当時のインドネシアの大統領であるスカルノに見初められて
第3夫人に収まる。
1962年のことです。
この結婚に関してはインドネシアの日本が行った賠償利権をめぐって
きな臭い話があったらしいですね。
スカルノ大統領は1965年に国際連合を脱退します。
その後軍部によりクーデターが起こりスカルノは失脚して軟禁生活
を送ることになります。
この時にデヴィ夫人も亡命生活を余儀なくされたそうです。
日本はデヴィ夫人の亡命を断りフランスでの亡命生活を送る
ことになります。
パリの社交界で有名になったあとで日本のテレビに出演するように
なります。
筑紫哲也の番組に出演してインドネシアのスハルト政権と日本の外交を
厳しく批判したこともありました。
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スカルノ大統領と金日成主席の親密な関係
インドネシアのスカルノ大統領と朝鮮民主主義人民共和国金日成主席は
非常に親密な関係だったようです。
もともと容共の姿勢を見せて国内にも巨大な共産党を抱えるスカルノ時代の
インドネシアの外交は親中国であり親北朝鮮でした。
その夫の縁でデヴィ夫人も北朝鮮のシンパになったと言われています。
テレビなどメディアで活躍するひとで唯一といってもいいほどの
北朝鮮シンパになりました。
こういう経緯があって今回の日本人にとっては暴言とも思える発言に
なったのです。
右翼的愛国的な発言の一方でこの発言とは、聞いているひとは
かなり混乱しますね。
朝鮮学校への公費補助も断固支持でデモにも参加しているようです。
この春にもデビィ夫人は北朝鮮を訪問しているようです。
本人は非難殺到は覚悟の上で発言しているのでしょう。
これまでもこの手の発言があってもテレビを干されるようなことは
なかったみたいですからね。
じっさい8月もテレビ出演のスケジュールはいっぱいらしいです。
さて、この発言で反発する視聴者がなんらかのアクションを起こすのか
それとも、スルーしてしまうのでしょうか?
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